| 3、後腹膜リンパ節手術郭清術 | |
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2005年1月 年末年始は家で 後腹膜リンパ節郭清手術が1月7日と決まっていたので、年末年始は家で過ごすことができました。おせち料理にお雑煮、初詣、家族と友人のありがたさ温かさがあらためて身にしみました。日記にも「絶対早く治して、みんなにお礼の電話をしよう。」と書いています。AFPが8.3まで下がっていたことは、年末に先生とお話をしたときに聞いており、この手術で摘出した腫瘍が全て死滅していた場合、治療が終了して経過観察になるとうことも聞いていたので、私はなんとかこの手術で終わってほしいと願いつつ、この手術さえ耐えればもう大丈夫だろうという楽観的な気持ちになっていました。しかも、先生が手術は化学療法に比べたら、リスクも少ないし、体の方もずっと楽だとおっしゃってたので、安心していました。 術式の選択 正月中に家族で話し合ったのが、術式の選択です。選択肢のうちの一つは、できるところまで内視鏡を使い、その後、お腹を切開して残りを取り除くという方法で、もう一つは、最初から内視鏡を使わずに切開して行う方法です。先生は内視鏡を使ったほうが、手術時間は長くなるが腸が外に出る時間が短くなるので、体にかかる負担が少なく、術後の回復も早いだろうという理由で前者の方を薦めておられました。ただ、この手術に関しては内視鏡を使う方法は先生にとっても、病院にとっても初めてであるということでした。後者の場合には、内視鏡を使うよりは手術時間は短いし、今までも行われている手術であるということです。父親は内視鏡を使った手術のほうが、問題が起こったときに対処しにくいのではということを心配していました。その点は先生に尋ねたところ、内視鏡の手術で大事に至るケースというのは、内視鏡でのミスを内視鏡で対処することに固執したときに起こり易く、その点に留意して、もしミスが起こった場合には直ちに切開して対処することで、大事に至る可能性は軽減できるということでした。 先生は内視鏡での方法のほうを薦めるが、私達が納得して選択したほうの方法で全力を尽くしますと、おしゃってました。最終的に私はこれまでの長い間の治療から先生を信頼していましたので、先生が薦められる方法でやろうと思いました。父親も私がそう言うと賛成してくれ、手術の方法が決まりました。 手術前 手術のときに腸を空にしておかないといけないということで、手術の前々日の夕食より、流動食となりました。化学療法の時には1週間くらい食事を食べないので、別にどうってことは無いと思っていたのですが、正月に食欲がかなり戻っていたこともあってお腹が減って結構辛かったです。また、手術の前日に2リットルの下剤を飲まなくてはならなかったのも辛かったです。平気な人もいるそうですが、私はその下剤の味が苦手で、しかもビール以外の水分をそんなにたくさんとるのは苦痛以外の何ものでも無かったです。 手術当日 予想以上にしんどかったというのが正直な感想です。9時には病室を出ていて、帰ってきたのが24時前らしいので14時間以上の大手術となりました。化学療法の影響か、腸の癒着がきつく手術時間が長くなったそうです。手術室中は麻酔が効いていて当然何も覚えていないのですが、起こされたときの全身の重さ、しんどさは明らかに前回の高位精巣摘除術の時とは異なっていました。管が口から喉に通されているのですが、そのせいでむせたり、嘔吐したときに切開された傷が痛むし、熱も出ててとにかくしんどかったです。病室に帰ってからも辛さは変わりませんでしたが、両親の顔を見て、先生が手術はうまくいったよと、おっしゃられたのを聞いて安心して寝られました。先生は化学療法より楽だとおっしゃってましたが、手術当日と次の日は化学療法より辛かったです。 術後の回復 術後3日目までは、熱があり全身のしんどさも傷の痛みも辛かったです。5日目には病室から出て詰め所まで看護婦さんに支えながらですが歩くことが出来るまでに回復しました。傷の痛みはかなり長く続きましたが、それでもすこしづつはましになっていきました。ある程度回復してから悩まされたのは、便が出ずにお腹が張ってつらく食事があまり食べられなかったことでした。化学療法で5〜6kgくらい減っていた体重がさらに下がっていきました。自分でもめっきり筋力も体力も無くなったという事が実感できるほど、入院前から弱りました。 1月17日、先生より摘出した腫瘍の中に死滅していない癌細胞が有り、引き続き3クールの化学療法が必要である旨の話を聞きました。腫瘍は発見時よりも3分の1の大きさで2cm弱まで小さくなっており、そのうち死滅していない癌細胞は3分の1くらいだが、摘出された腫瘍に生きている癌細胞がいるということは、まだ体の中にも癌細胞が残っていると思われ治療が必要ということでした。ショックで非常に重たい気分になりました。もちろんその可能性があることは理解していたのですが、この手術で治療を終われると信じていましたので精神的なダメージは非常に大きかったです。癌を告知されたときもあんなには落ち込みませんでした。 そんな私の気分を楽にしてくれたのは、母親でした。母が言ってくれたのは、治療をやめる決断をしてもいいよと、いうことでした。これまでがんばった治療で、腫瘍マーカーは正常化しているし、サプリメントなどの補完代替医療といったようなものもあるので、ここで治療を中断しても、かならずしも悪くなるって決まってるわけじゃない。今はその可能性に賭けてみて、悪くなったらその時にまた頑張るという選択肢もあるよと、言ってくれました。母の言ってることは、医者の立場からすれば無謀なことなのかもしれません。しかし、私は他の選択肢もあるよと、言ってくれた母の言葉で救われました。 その言葉によって、主体的に自分で考えるという意識が戻ってきました。先生に治療が必要であると言われてから、私は辛い治療のことで頭がいっぱいになってしまい、逃げたいけれども逃げられない。というような後ろ向きな考えで立ち止まってしまい、何かを考える余裕を失ってしまっていました。先生に治療をするかどうかを考えたいと伝えて、もう一度、治療をしない場合のリスク、する場合の副作用、後遺症の危険性、完治の可能性など聞きたかったことを聞いて、外泊の許可をもらいました。 家に帰って、インターネットで体験記を読んだりしながら冷静な頭で考えました。そうして出た答えは、やはり治療をするしかないと、いうものでした。この先、後悔するような選択はしたくない。ならば、今とるべき選択肢は治療に全力を尽くすことだと、素直に受け入れられました。他の人からすればたいして意味の無いことかもしれませんが、私は自分で考え自分で決断を下すということは非常に重要なことだと思います。他に選択肢がないと思うことと、考えた結果、他に選ぶべき道がなかったというのでは違うのです。自分で選んだ道であると思えれば、自然とファイトが沸いてきました。一泊して病院に帰り、先生に治療を行うことを告げました。その夜、退院が延びて学校には復帰できないことを友人の何人かにメールで伝えると、励ましのメールがたくさん届き、さらにファイトが沸いてきました。 |
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