| 1、精巣腫瘍と診断、入院、高位精巣摘除術 | |
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2004年9月 精巣腫瘍発覚 まず、精巣腫瘍が発見された経緯ですが、これが冗談みたいな話でサッカーボールが股間に直撃し、あまりにも痛いので病院に行くと判明しました。実は睾丸が大きくなっているのは以前より気付いていたのですが、痛くも痒くもありませんし、他人に異常について尋ねる気もしない部分なので、放っておきました。だいたい入院する3ヶ月前くらいには異変に気付いていたので、今から考えるとすぐに病院に行っていればもう少し治療も楽てあったのではないかと思います。精巣腫瘍については、良性ということはほとんど無いという事なので、自分の睾丸の異常に気付かれた方は、すぐに病院に行かれた方がいいと思います。私の場合、友人とのフットサルの途中にボールが股間に直撃したことが幸いしました。1時間位しても痛みが治まらず、運転して帰ることもできないほどであったので、友人に運転してもらい、22時ごろ急患で病院に行きました。その日は急患のため泌尿器の先生はおられず、とりあえず痛み止めをもらい翌日に診察を受けに行きました。その診断時に、以前から異常があったことを告げると念のために先生が血液検査をして下さった事が発見につながりました。もし、この時にボールが当たってなければ、また、以前から腫れていることを告げずに、血液検査を行ってなければ、さらに発見が遅れ、病気が進行していたかもしれません。 2004年9月14日が私にとって癌の告知日となりました。血液検査はされていましたが、その意味はぜんぜん理解していませんでしたし、正直言って告知をされた時も突然すぎて事の重要さを理解できていなかったと思います。先生も全く悲観的な話をされない方で、まず、すぐに入院が必要で、精巣の摘出をしなければならないこと。この病気は半分くらいはその摘出の手術のみで1週間くらいの入院ですむ場合があり、そうでなければ、3ヶ月くらいの入院、またまれに6ヶ月くらいの入院まで現在のところ考えられる。という事を言われました。おそらく先生はこの時点でも、かなり厳しい治療となることは分かった上で、ある程度受け止め易いよう言われたのだと思います。私は、運が良ければ1週間ですむし、悪くても3ヶ月、専門学校に通っていたので学校を休むのはきついけれども、なんとかなるだろう。といった具合に受け止めることが精一杯でした。今から考えるとほんとに楽観的に考えていたなぁと思うのですが、逆に悲観的になるよりはよかったと思います。 病院から帰ると、自分が癌になったという事を親に告げねばなりませんでした。父親は出張で家を空けていたので、まず、母親と祖母に報告し、父には電話をしました。私が楽観的に受け止めていたので、まだ耐えれれたと母が言っていました、その時の母親の悲痛な表情は忘れられません。子供が癌になるということはきっと親にとっては自分がなることよりもつらいのではないかと感じるほどでした。この後、学校には報告しなければなりませんでしたが、少し困ったのが、友人に告げるときでした。まず、あまり自分が癌だということが広がればその後の生活に支障をきたすことにならないかという不安と、聞かされる側にとっても重大なことであり大きなショックを与えることもあるので、誰にどんな風に話すかを考えないといけないということです。前者は特に父親が結婚もまだなのに、あまり変な風に話が広まると私の将来に良くないのではないかと心配しました。性格や考え方にもよると思いますが、友人はその後の治療で苦しいときなど、本当に大きな力になってくれるので、できるだけ自分の口から伝えたほうがいいと思います。人づてに伝わった場合、よけいな気を遣わせてしまうこともあると思います。後者のほうは、話した人が大きなショックを受けてしまうと、自分もどんどん悲観的になってしまいそうで自分が出来るだけ、前向きに考え、前向きに話すことを少しだけ気をつけました。 入院 告知を受けたのが9月14日で、翌日は学校に行き、16日が入院となりました。入院の前に造影剤を使ったCT検査があり、その結果をふまえて母と一緒に先生の説明を聞きました。検査の結果、腎臓付近のリンパ節に直径5cm程の転移があるということでした。病期の分類ではU期Bにあたります。転移が確認されたことで、一週間の入院ですむという希望は無くなり、まず、精巣を片方摘出し、癌の種類を調べる必要があるということと、その後、3ないし4クールの抗ガン剤治療が必要であることが告げられました。精巣の摘出という手術は、時間的にも短いものであるし、体に与える負担も大きくないのでそう心配はいらないが、抗ガン剤の治療は副作用がきつく、吐き気がきつく辛い治療になるであろうから、これから一緒に頑張っていきましょうということでした。 入院当日に、病院の近くのコンビニでメモ帳を買い、日記をつけていくことにしました。実際には、手術後や抗ガン剤の治療中はとてもペンを持つような気分ではなく書いていない日も多いので、日記と呼べるようなものになりませんでしたが、それでも、治療の記録や日々思ったことを書き綴ったこのメモ帳は大変役に立ちました。治療中もときどき過去に書いたことを振り返ると、頑張ろうという気が沸いてきますので、日記は毎日つけなくてもいいので、是非、書いた方がいいと思います。ちなみに、私のメモ帳の最初のページには「逆境はお金で買うことはできない」と書いています。これは、その時読んでいたプロジェクトXの本の中に書かれていた言葉で、とにかくこの病気を後ろ向きに悩むのでなく、乗り越えて「この病気があったから自分は成長できた」と言えるくらいになってやろう。という気持ちで書きました。 高位精巣摘除術 9月17日に手術をした。朝一番の手術で、昼前には戻ってきていたので麻酔の時間も入れて3時間に満たない手術であった。精巣は片方を取っても、もう片方があれば何の問題もないと先生に確認しておいたし、比較的簡単な手術であると聞いていたので、あまり不安もなく手術を受けることができた。回復も順調で、次の日には尿道カテーテルを抜いてもらえ、傷はまだ痛んだがなんとか立って歩くこともできた。その後は、摘出した精巣から癌の種類を調べるので、その結果と体の回復を待った。夜には、病院の屋上に出て、大学時代の友人などまだ連絡できていなかった人達に電話をした。やはり、友人に励まされるというのは非常にありがたいと感じた。 摘出された精巣の検査の結果から、私の場合、非セミノーマといわれる種類であることが分かった。治療の方針としては、抗ガン剤による化学療法を3ないし4クール行うということが確認された。私の場合1クールはだいたい3週間でで5日間、抗ガン剤を点滴し、されに3日水分のみの点滴を行う。その後、骨髄抑制という副作用の回復を待って次のクールに行くので、副作用によっては次のクールまでが長くなる。という説明だった。この時、初めてガンマーカーというものの存在を知った。AFPやHCGというガンマーカーという指標があり、これからCTでの転移部位の縮小とともにこのマーカーによって薬の効き目を確認するということだった。ちなみに、この時の私のAFPの値は16700であった。この値は、自分の癌がどれだけ大きくなったり、小さくなったかを追跡するためのものであり、他の人と比べても意味のないものらしいが、私の値はかなり高い部類に入るのではないでしょうか。 抗ガン剤治療の前に、リフレッシュの意味で2日間外出させてもらい、9月27日より治療開始となりました。この前に私は詳しくは聞いていなかったのですが、父はどこの病院でこれからの治療を受けるかをかなり考えてくれていたようでした。最終的に、日頃からお世話になっていた開業医の先生から、高位精巣摘除術を受けた病院(つまり最初から行っている病院)は泌尿器科が優秀で信頼できるということを聞き、また、その病院は自宅から車で20分くらいで大きな病院としては一番近いこともあるので、そこで治療を受けることを決めましたが、父はより良い治療を受けるために東京の病院なども考えていたようです。私はその時はあまり考えていませんでしたが、治療を受ける病院というのはしっかりと考えた方がいいと思います。抗ガン剤による治療というのは、かなり危険もともなう治療ですし、治療実績のある経験豊富な医師がいる病院で受けるべきです。相談できる人がいるならば、相談した方がいいでしょうし、インターネットで情報を集めてみることもいいでしょう。ただ、私の経験から、ある程度以上の実績がある病院ならば、看病してくれる人の負担のなるべく少ない病院を選ぶべきだと思います。治療を支えてくれる人の存在は非常に大きいです。その人の負担が大きくなるということはは、治療を進めていく上で大きなマイナスになると思うので、出来るだけ自宅に近い、あるいは交通の便の良い病院がいいと思います。
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